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京都議定書の実施に向けて プリント

 これまでの国際条約の歴史上はじめて日本の都市名を有する京都議定書は、1998年の3月16日から各国の署名が始まりました。初日に署名をしたのは、モ ルジブ、サモアなど島しょ国とスイスなど6カ国でした。日本は、4月27日、ニューヨークの国連本部で議定書に署名をしました。2002年2月18日現在 で、京都議定書に署名をした国は、84カ国、締結は47カ国です。京都議定書の25条に定められている発効要件をまだ満たせず、国際的な約束として本当に効力があるものになっていません。

(1)COP4とブエノスアイレス行動計画

 各国の締結と深く関連しているのが、COP3以降に始まった京都議定書で定められなかった京都メカニズム、吸収源、遵守制度などの詳細なしくみや運用ルールを決めるための議論です。

 環境NGOは、これらのしくみや運用のルールによっては、先進国が国内対策を実施することなく、外国での対策の実施や森林のCO2吸収量だけで、せっかく 決まった京都議定書の削減目標を達成することができてしまい、本来議定書の目的である先進国内での温暖化対策が進まなくなる可能性があると懸念を表明して いました。

 京都議定書の発効に大きな影響力を持つ日本やカナダ、オーストラリア、EUなど先進国も京都議定 書をすでに署名していましたが、京都メカニズムの運用方法や森林吸収源の取り扱い、遵守や発展途上国支援などの具体的手続きについての合意が得られていな いことを理由に、締結していませんでした。しかし、それらルールの合意を目指す期限はなく、そのままでは、いつまでたっても京都議定書が発効しない恐れが ありました。

 1998年にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された第4回締約国会議(COP4)では、2000年 11月に開催される第6回締約国会議(COP6)で京都メカニズム、森林吸収源、遵守手続きなどの運用ルールを合意することを定めたブエノスアイレス行動 計画が採択されました。この行動計画には、発展途上国の強い要望で、発展途上国への資金、技術移転など条約に定められた他の義務を進めるしくみもCOP6 までに合意することが含まれました。

 1999年にドイツのボンで開催された第5回締約国会議(COP5)では、COP4で決めた行動 計画を再確認しました。またドイツのシュレーダー首相をはじめ多くの国の大臣たちが、2002年8月末に開催されるヨハネスブルグ・サミット(持続可能な 開発に関する世界首脳会議:WSSD)で議定書を発効させようと呼びかけました。

(2)中断されたCOP6

 2000年11月、オランダのハーグでCOP6が開催されました。京都議定書を実施していくための細かいルールが決まり、各国の締結、発効など今後の温 暖化問題解決の道筋が決まることが期待されていました。しかし、京都メカニズムや吸収源を最大限活用して目標達成したいアメリカや日本、カナダなどから成 るアンブレラグループと、あくまでも国内対策を重視し、京都メカニズムや科学的に不確実性の多い吸収源の利用に制限をかけるべきであると主張するEUや発展途上国グループの意見が対立したため交渉は中断し、翌年COP6の再開会合が開催されることになりました。

(3)アメリカの離脱とボン合意の成立

 2000年11月に開催されたCOP6は中断しましたが、各国の閣僚間での話し合いなどを通じて、交渉は続いていました。2001年になり、IPCCは第3次評価 報告書を発表しました。さらに温暖化は進んでおり、このままいくと1990年から2100年に地表の平均気温は1.4から5.8度上昇すると発表しまし た。温暖化対策はまったなしの状態となったわけです。

 ところが、2001年1月に就任したブッシュアメリカ大統領は、2001年3月、突如、京都議定書交渉からの離脱を宣言しました。その理由は以下のようなものです

  • アメリカの議定書不支持の理由

  • (1)発展途上国が削減義務を負っていないことは不公平
  • (2)米国の経済に悪影響がある

 京都議定書は、気候変動枠組条約の共通だが差異ある責任という原則を踏まえて合意されたベルリン・マンデートに基づき、発展途上国が新たな義務を負わない ことを前提として合意されたものです。また、多くの専門家たちは、温暖化対策を積極的に進めれば経済が活性化し、逆に対策を後回しにするほど被害は拡大し 経済への悪影響が考えられることを指摘しています。米国の主張は、これまで世界の国々が10年におよび進めてきた交渉の経緯を無にするものであると各国か ら批判の声明が出されました。

 世界最大の温室効果ガス排出国であるアメリカが京都議定書の交渉から離脱する中で、 2001年7月16日から27日までドイツ、ボンでCOP6再開会合が開催されました。再度合意に失敗すれば2002年の京都議定書発効が困難になるだけ ではなく、一気に温暖化対策に関する世界の関心が下がり、下手をすれば京都議定書は発効できず死文化する恐れがありました。7月19日の午後に開催された 閣僚級会合では、各国の大臣たちが徹夜で交渉を行い、当初予定していた日程を延長し、途上国問題、京都メカニズム、吸収源、遵守制度の運用ルールなどもっ とも合意が難しかった論点について合意をしました。これがボン合意とよばれるものです。アメリカの離脱宣言を乗り越え、世界各国の大臣たちは協力して、京 都議定書とともに、温暖化対策を進める意志を示したのです。

 

 
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