Menu Content/Inhalt
COP3と京都議定書 プリント

(1)COP1とベルリン・マンデート

1995年、ドイツのベルリンで最初の気候変動枠組条約の締約国会議(COP1)が開催され、条約に参加する国(締約国)と条約に参加していない国(オブザーバー国)を含めた170カ国の政府代表とNGO、マスコミ関係者など約3000名が参加しました。条約の4条2項(d)には、COP1で2000年までに排出量と1990年の排出量に戻すための措置を構ずるという先進国の約束が、条約の目標達成に十分かどうか検討することになっています。締約国は2000年以降についての新しい約束が必要であることを合意し、ベルリン・マンデートを採択しました。これを受け、ベルリン・マンデートアドホックグループ(AGBM)が設置され、第3回締約国会議(COP3)までに議定書をまとめる新しいプロセスが始まりました。

ベルリン・マンデートの内容

(1)2000年以降の先進国の数量化された温室効果ガスの排出抑制・削減目標及び政策と措置を定めた議定書をCOP3で採択すること。

(2)共通だが差異ある責任の原則に則り発展途上国に対しては新たな約束を課さないものの、条約上の既存の約束を再確認し、その履行を促進すること。

AGBMは、1995年8月から合計8回(第8回再開会合を含めると全部で9回)の会合を開催しました。その間、IPCCは1996年4月に第2次評価報告書を発表し、「研究結果を総合すると、地球の気候に人間の影響が見られ、地球温暖化が既に始まっている兆候も見られる。」と結論づけました。この約2,000人の世界中の科学者や専門家が参加してまとめられたIPCCの第2次報告書は、衝撃的な内容をもつものとして受けとめられ、科学的な側面から追加的な対策の必要性を後押しする結果となりました。

第2次報告書の3ヶ月後の1996年7月にスイスのジュネーブで開催された第2回締約国会議(COP2)で、各国の閣僚は、「地球温暖化の科学、その影響および現在利用できる対応策について、現在のところ最も包括的で権威ある評価」としてIPCCの第2次評価報告書を支持しました。同時に各国閣僚は「議定書は法的拘束力のある数値目標をもつものとする」という閣僚宣言をまとめました。これは、ベルリン・マンデートのプロセスに刻まれた重要な一歩となりました。

また、COP2では議定書を採択するCOP3が日本で開催されることが正式に決まり、世界の目は日本に向けられるようになりました。



 
< 前へ   次へ >
戻る
  • メインメニュー
  • 関連アイテム